わたしたちはずっと、普門館をめざしていた

ある日、そこには真新しい公園が

 

跡地公園の風景

家の近くだけれども、通り道ではない場所。

少し回り道をすると、久しぶりに見る風景。

そんな場所に、気持ちのいい大きな公園ができていました。

今のご時世、人も少なくて、空が広い、綺麗に整備された芝生の公園。

気分の入れ替えにちょうどいい場所です。

 

 

...いや、ちょっと待って。

こんな広い場所って、もともと何があったっけ?。

 

 

昭和59(1984)年、吹研の活動実績から「全日本学生吹奏楽連盟 創立20周年記念バンドフェア」2日目のグランドフィナーレのようすです。

私たちにとっては大先輩方の、大学の中だけでなく大吹連や全吹連全体での、大きなイベントでした。

 

20周年バンフェ

跡地公園の風景

 

ほぼ同じ方向で、いま見るとこうなります。

 

そう、この公園は、あの「普門館」の跡地なのです。

普門館は、2018年11月のお別れイベントの後、耐震補強工事ができないために解体されました。

地域の都市計画が変更されたために、建て替えすることもできず、跡地は公園になったそうです。

 

 

消えてゆく、わたしたちの想い出

 

解体工事の様子が少しだけ写真が残っていましたので、ご紹介します。

 

 

解体中の風景

跡地公園の風景

 

地下鉄の方南町駅側から、環七通りを右折した時の風景。

よく見れば、「あ、工事してる」とも思えるし、「あれ?普門館無くなってる?!」とも思える。

 

 

解体中の風景

解体中の風景

 

見覚えのあるこの建物が、こうして解体されていました。

 

 

解体中の風景

解体中の風景

跡地公園の風景

 

解体中は、最後のイベントのラッピングも少し見えていました。

公園になってしまうと、あのホールがここにあったとは全く思えません。

思ったよりも小さいような...?。

 

 

解体中の風景

解体中の風景

解体中の風景

 

バス通り側の解体風景です。

たぶんこちら側が舞台裏側のはずです。

工事のために壊された壁の中、パワーショベルの奥に、見覚えのある黒い柱が。

忙しくお手伝いで走り回る中でよく見た、ステージ裏の黒い柱。

のぼり詰めたプレイヤーだけが見ることのできた、黒い柱。

 

 

解体中の風景

跡地公園の風景

跡地公園の風景

 

バス通り側から見たようす。

交差点だけが、ここに普門館があったことを伝えています。

 

 

あたらしい、日常

 

この家族も、ちびっ子も、思い出の中に普門館がないまま、時を過ごしていく。

 

跡地公園の風景

 

回転舞台の裏側で、会議室や練習部屋で、忙しく動き回った、普門館。

目指して、追いかけて、ついにたどり着けなかった、普門館。

もう、二度と、みんなで集まることはない、普門館。

 

 

わたしたちはずっと、普門館を目指していた。

 

 

 

 

redaction : 2021.04.18

2009.06.18 by Hiro Ishiwatari % "suiken@net"

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